安芸国 あき


広島県の西半分に当たるところが安芸国で、大化改新のときに安芸国になった。それ以前は、この地方を「あき」とよび、阿岐国造がいた。国造主の祖が飽速玉命といわれ、佐伯郡平良村の速谷神社に祀られているところから安芸国造の本拠は、この付近と考えられる。「延喜式」の伊都伎島神(厳島神)と速谷社はともに進階され、安芸郡の多家神社とともに名 神大社に列している。厳島神社は安芸国一の宮である。大化以後の律令時代の国衙は、広島市の東郊の府中町の田所明神を中心とした所で、中世田所氏の築いた石井城跡と推定されている。  山陽道が通じ、海上交通も泊が発達し、遣唐船の造船がたびたび行なわれるようになった。伊都伎島神は、海上守護神として平家の全盛期に社殿の美観を整えられた。鎌倉時代には東国の御家人が守護地頭として勢力を張り、やがて西国に移住しはじめた。相模小早川氏、甲斐武田氏、駿河吉川氏、相模毛利氏などがそれである。戦国時代になると大内氏のもとに毛利氏以下、安芸国内の武士が従属し、尼子氏の侵入に対して、国内は固まっていった。大内義隆(1507〜51)の死後は吉田にあった毛利元就(1497〜1571)が、陶晴賢(1521〜55)を討って西中国を統一した。孫の輝元になってから東中国もおおむね毛利氏の勢力下になった。輝元は天正17年(1589)、広島に築城、翌年に入城した。関ヶ原の戦いで西軍についた結果、毛利氏は削封され、芸備二国の大名として福島正則が広島城主となったが、徳川氏により改易となり、元和5年(1619)、浅野長晟に安芸国と備後半国が与えられ明治維新までつづいた。



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